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はてな社長 近藤淳也氏インタビュー
はてなの組織としての魅力には、社長・近藤淳也氏のパーソナリティが色濃く反映されていると言われる。前編では、起業までの軌跡を追った。「やりたいことをやる」を貫き通した学生時代から、起業を決断したターニングポイントはどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和)
はてな社長 近藤淳也氏インタビュー
近藤 淳也(こんどう じゅんや)氏 プロフィール

1975年生まれ。2000年京都大学大学院を中退後、カメラマンを経て、2001年7月「有限会社はてな」を設立。2004年春、株式会社化ならびに東京移転。初の著書『「へんな会社」のつくり方』は、2月13日発売。

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「人生、何でもあり」を実感したアメリカ横断

田中:
会社を作るような人は初めから使命感やビジョンのままに生きて来たに違いないという固定観念があると思いますが、多くの場合、そんなことはないと思います。実際、僕自身も学生の頃の「将来的にやりたいことがないのはまずい」という危機感をベースに、1995年ごろのYahoo!やNetscapeというシリコンバレーのネットベンチャーをまさに発見して、こういう風になりたいと思って、それから10年この道を進み続けてきました。近藤さんにもあるだろうそんな「始まり」みたいなものを、今日はお伺いできればと思います。 近藤さんは、はてなを立ち上げる前、京都大学の大学院を退学しカメラマンとして活躍なさってましたよね。また、大学院の1年次は自転車のレーサーだったとか。その頃の、21、2歳の自分を振り返ってみてどう思われますか?
近藤:
我ながら、よくやっていたと思います。学生時代は自転車のほかに、ホームページ作りにハマったり。将来の展望がさして明るくないことばかりに時間を使っていましたね。
田中:
でも、特に不安は感じていなかった?
近藤:
いや、もちろん感じまくりです。こんなことばかりをやっていて、キャリアの積み重ねとしてはどうなんだろうと。大学も3、4年になってくると、「実は以前から外交官になりたかった」「弁護士になるから司法試験を受ける」といった言葉が、仲間の口から聞かれるようになってくる。「あれ、みんな自転車に乗っているだけだと思っていたけど、やることはしっかり決めてたんだ!?」というような驚きがありましたね。
田中:
20歳前後のころの職業に対する意識って、相当個人差がありますよね。近藤さんの場合は、何をきっかけにして職業観を意識してきたのでしょう。例えば友達の言葉だったり、ご両親のお仕事だったりとか?
近藤:

はてな社長 近藤淳也氏インタビューきっかけはひとつだけでなく、複合的なものですよね。20歳を過ぎれば年齢的に、社会に対して何か価値を提供していかなければ生きていけないようなことを意識し始めましたし。

ただ職種に関しては一般的に、親の影響が大きいのではないでしょうか。例えば、幼い頃から「大きくなったら大企業に入って楽させてよね」と聞かされていたら、とりあえずはひとつのモデルとして「大企業に就職する道」が植え付けられるでしょう。僕の場合、そういったことがまったくなく、完全にゼロからのスタートでした。だから困ってしまって……。

今でも覚えているのは、20歳の時に自転車でアメリカを横断したときのこと。どこまでも真っ直ぐな一本道をひたすら走り続けていました。あまりに広大で景色もまったく変わらず、目的地までの距離も長いので、「時間がなければ考えないことを考えよう」と試みたんです。そこで、「これから生きる上で何をしなければならないか」に思いを馳せました。何か、法則のようなものを導き出せればいいなと。

そのため最初に、「なぜ僕は生きるべきなのか」をとりあえず押さえようと思ったのですが、自分が生ききった方がいい理由をひたすら考え結論が導き出せないうちに、道が終わってしまった(笑)

田中:
僕も子供の頃、寝る前に考え事をするのが好きで、そのときの最大のテーマが、「なぜ人は生きなければいけないのか?」で、なかなか結論がでなくて、毎日毎日悩んでました。人生って、楽しいこともあれば、つらいこともある、それでも生きることを選択するのだから、相当の理由が必要だと思ったのですが、大人に、理由はともかく「絶対」生きるのが正しい、と頭ごなしに言われると納得できなくて。まあ、小中学生ぐらいで、結論が出ても困るんですけどね(笑)。
近藤:

経営者になる人って、そういう死生観まで考えている人が多いような気がします。

もうひとつアメリカで新鮮だったのは、日本における自分の価値がまるで通用しないことでしたね。例えば「京都大学の学生」なんてことは、まったくもって意味のないこと。" Who are you? " と聞かれたら、 "Junya Kondo " 以上のものは何もない。

そうしたら、いろんなことが自由に感じられてきたんです。例えばアメリカで見かけた、道ばたのアイスクリーム屋さん。この職業を一生やり抜こうと決めて思いっきり頑張れば、僕もアイスクリーム屋になれるわけです。だけど、それまではそんな選択肢があることすら知らなかった。要は、「人生、何でもアリなんだ」と。目の前が開けた感じでした。

田中:

この、自分は自分以上でも以下でもない、という感覚や、どこでもやっていけるという自覚って重要ですよね。僕は大学のときに、よく一人でバックパッカーとして旅行していたのですが、現地で始めて知り合う人は、僕の姿かたちと話す内容だけで僕を判断していました。面白くもなければ友達にならないし、笑顔を見せれば親しみを持ってもらえる。当たり前なんですが、やっと僕というものは、この体と心だけなんだと知りました。

シンガポールで一泊5ドルの宿泊施設に泊まって一緒に泊まる不法就労者の人に日本の位置や生活について説明したり、お金がなくなってヨーロッパで少ないフランスパンとチーズと水で3日ぐらい生活したり、メキシコで亡くなった子供を抱きかかえる女性や手足を無くして胴体しかない老人が道で並んで寄付を求めているのをみて衝撃を受けたり、そういう中で、普段の日本の生活というのは、単なる一つの世界でしかないと思うようになりました。

普通の日本の価値観から見れば、居心地はよくない生活や世界かもしれないけど、そういう世界にも楽しそうにしている人もいるし、生きていけるんですよね。そういう経験の中で、自分は世界中どこでも生きられるし、お金がなくても楽しめるし、世の中には無限の生き方がある、という考え方、つまり、そういう人間としての生命力みたいなものが芽生えたと思うのですが、そういう感覚を同じような海外と言うものを通じて得ていたというのに、面白さを感じました。

結局、そういうものがあるから、信念を持って何かに取り組めるのだと思います。

やりたい仕事以外には、就きたくない

田中:
仕事のことを考え始めようと思うと、結局そういう「どう生きるのか?」にまで戻って、考えるようになりますよね。僕自身、新しいスタッフとの面接では、そもそもどういう生き方をしたいのかという根底の部分で、その人のことを理解できるようにすることで、相互のミスマッチを防げればと思っています。さて、人生の約8割は仕事をしていますから、「仕事に意味がなければ人生も辛いだろう」と僕は思うのですが、近藤さんが仕事へと実際の一歩を踏み出す就職活動はどんな感じでしたか。
近藤:
僕は、絶対に「やりたい仕事」に就きたいと考えていました。仕事は人生の目的に近いですから。就職活動は大学3年の秋、冬頃から始めましたが、そのときに思ったのは「なんだか選択肢が狭いな」ということ。企業情報や求人情報を載せた分厚い本が大学に置いてありましたが、これが働く先のすべてとはとても思えなくて。また、本をパラパラめくって就職先を決めるのは、カタログショッピングのような感じもしたし、こんなふうに人生を決めてしまってもいいのかという疑問や違和感がありました。
田中:
でも、「最先端の技術を持つ企業の研究所で働いてみたい」とか、「世界に向けて製品を発表したい」という欲求はなかったのですか?
近藤:
ありましたよ。ソニー、1社だけ受けました。絶対に受かると思っていたし、しかも選考に漏れたらどう生きていくかをまったくイメージできなかった。いま考えると、当時はなぜあんなに自信があったのかがまったくの謎なんですが(笑)
田中:
でも残念ながら、ソニーには入社できなかった。普通の考え方だと、次は同じ業種の競合他社に行こうということになりますよね。
近藤:
ソニーに蹴られて「あれ? どうしよう」と思ったものの、ほかはまったく念頭にありませんでした。だって、2番目以降の会社には入りたくないじゃないですか。本命以外のところに「どうしても御社で働きたい」とウソを言うのが、間違っているような気がして……。
はてな社長 近藤淳也氏インタビュー
田中:
僕も就職活動したときに、とりあえず、セオリーどおりに資料請求をいろいろしてみて、なんとなく一番初めに来た面接の連絡で受けに入って、特に志望していたわけでもない企業の一次面接を通ったんです。でも、逆に合格通知を受け取った後にふっとわれに返って「このまま二次、三次面接を通ったとして、俺は本当にここで働きたいの?」と考えた。明らかに絶対入りたくない。すると、入社したくない会社を受けるのって、無駄でしかないように思えてきました。それまで100社ほどに資料請求していましたが、結局は自分が入りたいと考える会社3,4社以外面接に行くのもやめてしまいました。どこも受からなかったらどうしようかと、一瞬思いましたが、とにかくやりたくない仕事をお金のためだけにやるような生き方は嫌だったので必死でしたね。
近藤:
就職活動時、もうひとつ念頭にあったのは、「モラトリアムもありだよな」ということ。実際、僕の父親が大学院を出て就職まで一年半くらい世界旅行をしていたということもありまして。職業人生は30年以上続くわけだから、働き始める前に決心がなければ、見切り発車になる気がしましたし。
田中:
僕もそういう考え方は持っていますが、モラトリアムを言い訳にいつまでも就職しない人も実際にいるでしょう。
近藤:
いや確かに、「1、2年で答えが出なければ僕は駄目な人間だ」という焦燥感があってバランスがとれるとは思います。モラトリアムを理由にずっと働かないのはよくないけれど、迷うことを否定してやりたくないことでさえもやれ、というのは違うと思うんです。
田中:
話を伺っていると、20歳前後から25歳あたりまでは、やはり何かしらもやもやしていて、明確に何かやりたいことがあるというわけではないんですよね。やりたいことがあるに違いない、という感じとでも言いましょうか。ただ、それは漫然としたものではなく、不安と向き合いながら、もがきながら過ごす。この年代は、そういう模索する時期なのでしょうね。
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