GREEキャリア > ディー・エヌ・エー社長 南場智子氏インタビュー(前編)
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南場 智子(なんば ともこ)氏 プロフィール1962年生まれ。1986年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社。ハーバード大学でMBA取得後、マッキンゼーパートナー(役員)就任。1999年株式会社ディー・エヌ・エー設立、代表取締役に就任。現在は内閣規制改革・民間開放推進会議委員も務める。 |
就職活動はまったくせず
- 田中:
南場さんの経歴で興味深いのは、外資系の大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)でパートナー(共同経営者)にまで上り詰められたあと、オークションサイト「ビッダーズ」を始められたというところです。
- 僕らのような20代後半の人間にとって、「コンサルティング会社に就職することは、スーパーサラリーマンになれる」というようなイメージもあるし、ある意味学歴社会において最高のポイントとして目指している人も、まだまだ多いですよね。まずは、どうしてマッキンゼーに入社したのかを教えてもらえますか。南場さんはどういう就職活動をなさってきたんでしょう?
- 南場:
実は私、就職活動と名が付くことを一切やっていないんです……。大学4年生のときに留学しているから、トータルで5年間大学へ行ったことになっているし。当時住んでいた女子寮では、携帯電話どころか部屋ごとの固定電話もない状態だから、電話ボックスにみんなが行列を作っていたんですが、自分もそれに並んでいるときに「○○会社さんですか?」という声が聞こえてきて初めて「そうか、同じ学年のみんなは就職活動してるんだ」と、ようやく認識したんですよね。そういえばリクルートブックがガンガン送られてきていたけれど、開いてみる気もなかったですねぇ。
- 田中:
一般的な感覚としては、「大学を卒業したら仕事をしなきゃ」という意識があると思うのですが……。南場さんはそうは感じていなかった?
- 南場:
いや、就職のために何かアクションを起こさなきゃとは思ったんですけど、就職活動の具体的なイメージが浮かばないというか、ノウハウがまったくなくて。ちょっと焦り気味、しかし何をどうすればいいのかわからずあたふたしていた頃、マッキンゼーに勤務していた大学時代の先輩が「説明会に来てみない?」と誘ってくれたんです。尊敬する先輩だったし、彼女自身もイキイキして輝いていました。
「素敵な職場だわぁ」というミーハー心がうずいたことも否定しませんが、「ここで働こう」と、もう即決ですよ。自分で言うのも何ですが、私は面接で自分を最大限によく見せることにとても長けているので(笑)、無事就職が決まりました。
- 田中:
もし、そこで就職しなかったら、このまま学生のままでいいや、という気持ちはありました?
- 南場:
いや、それはないですね。どうすればいいかはわからないけれど、何かをしなければならないという焦燥感は持っていました。でも、就職活動って根本的に面白いものではないでしょう。学生のときは世の中の仕組みもわかってないし、当然「会社って一体何?」という世界だったから。
そもそも、私はしつけが非常に厳しい家庭で育っていて、東京の大学へ進学するにあたって、親が出してきた条件があったんですよね。例えば、女子大でなければならない、必ず寮に入ること、などなど。その中に、「卒業したら生まれ故郷である新潟に戻ってくる」「就職先に関しては父親に任せる」という項目が含まれていたので、「自分で就職活動しても仕方がない」というあきらめに似た心境もありました。
結局はマッキンゼーを自力で選択したわけですが、いま考えると世間知らずでしたね。マッキンゼーのなんたるかをまったく知らずに入社したものだから、その後とてつもなく苦労しました。
「できない」自分に打ちのめされる日々
- 田中:
「苦労した」というのは、具体的にどういうことですか?
- 南場:
とにかく、何もできませんでした。仕事がまったくわからないんです。
- 田中:
それは、「周りに馬鹿にされる」ということですか、それとも自分自身が納得のいく仕事ができないということ?
- 南場:
周りの評価はさほど悪くないんですが、自分で「まったくできてない」という自覚があって。例えば、仕事に関する指示を理解することだけで丸1日かかるとか、集めているデータをよく見直してみたら携わっているプロジェクトにはほとんど関係ないものだったりとか……。とにかく、世の中のことを知らなさすぎました。例えば、当時は生保と損保の違いも、住宅ローン、証券……。聞いたことはあっても内容がわからない。使われている専門用語なんてわかるはずもない。
あとは、就職活動と一緒で、どう動いたらいいか、わからない。既に周知の事実や意見を自分が出しても仕方がないと思うから、どう切り込んでいこうかと考えるうちに、朝の9時から夜中の1時まで時間が過ぎてしまい、それからようやく頭が回転し始める、というような感じでした。
- 田中:
ビジネスに対して、興味がなかったのかもしれませんね。
- 南場:
それまでは一切、ありませんでしたね。それが急に専門用語だらけの指示をだされて、「アウトプットを出せ、バリューを出せ」って、呪文のように唱えられて……。理解が全然できてないのに、バリューやアウトプットを出すことに対する焦りだけが空回りしてしまう。例えば、「2日間インプットだけに集中しよう」というような冷静な判断できない。とにかく、プレッシャーに押しつぶされそうでした。
- 田中:
その「できない」という感覚は、他の人と比較した際に、「私よりもできる人がいる」という認識に基づくものだったのでしょうか?
- 南場:
いや、他の人と比較するまでもなく、事実として役に立ってなかったと思います。最初の2年間は、明らかに空回りしていました。周りの人の評判や会社からの評価がさほど悪くないのは、1年目や2年目はあまり期待されてないからなんですよね。だから、そう厳密なところまでは査定されていなかったと思うんです。同期の人たちは、皆が違うプロジェクトを担当していたので、相対的に判断されることがなかったというのもありますし。
- 田中:
そういう自分の悩みは、同期の友達に「私、できない人間なんじゃないか」と相談したりはしないんですか。
- 南場:
同期が手がけていたプロジェクトや動向はもちろん気になっていましたから、チェックしてましたよ。するとみんなサクサク仕事してる。素敵でしたねぇ。
- 田中:
では、上司にも相談したり、教えを請うたりはしなかったんですか。
- 南場:
プライドもあって、出来ない自分がバレないようにしてましたね。とにかく頑張っちゃって。それでもうどうにも我慢できなくなって、会社から逃げるように大学院へと向かったわけです。
- 田中:
ハーバードのビジネススクールですね。それだけでも相当優秀だと思いますが…。先ほど「ビジネスに興味はなかった」とおっしゃっていましたが、留学する頃にはビジネスに対する興味が芽生えていたんでしょうか。
- 南場:
いや、当時はとにかく「いったんは休もう」と思い、これまでの人生やその後の人生どうしよう、ということに注力していましたね。つまりカリキュラム自体に関心がなかったから、勉強はきつかった。ビジネスに対する関心度は、留学を終えて戻ってきてからは変わりましたが、当時はさほど熱が入っていませんでした。
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