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株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
老舗芸能プロダクション株式会社ホリプロの堀義貴社長は、創業者の次男でありながらニッポン放送を経て製作現場への配属を希望し、社員としてホリプロに入社。その後、成果を収めて社長に就任したという人物。今回は幼少期から就職・転職までの経緯と、現場で培った反骨精神に迫る。(聞き手はグリー社長 田中良和)
株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
堀 義貴(ほり よしたか)氏 プロフィール

1966年東京都生まれ。成蹊大学法学部卒業後、89年ニッポン放送入社。93年ホリプロ入社後、取締役制作・宣伝事業担当などを経て現職。ホリプロ創業者・堀威夫氏(現・取締役)の次男。著書に『これだけ差がつく!「感じる人」「感じない人」―ホリプロ社長が教えるチャーミングな組織のつくり方 』がある。

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ホリプロは何をしているのかわからない会社だった

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
田中:

今でこそホリプロは日本でも指折りの有名な芸能プロダクションですが、元々この会社は堀さんのお父様の代に創業されたそうですね。それは堀さんが生まれる前ですか?

堀:

ええ。父はもともとミュージシャンだったんです。その当時のギタリストランキングでトップだったほどのスターでしたが、私の兄が生まれたのを機に「いつまでもこんなことをやっていたら駄目だ」と会社を始めました(笑)。

 

当時のミュージシャンは職業としては認められていなかったし、長続きするものじゃないと思われていましたからね。父はプレイングマネージャーだったので「ほかのミュージシャンを育てれば会社になる」と創業したんです。

田中:

そうなんですか、そんな経緯があったとは知りませんでした。普通は「社長の息子」というと子供の頃から裕福な生活をしていそうなイメージがあるんですが、実際はどうだったんですか?

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
堀:

当時のホリプロは社員も数人しかいない小さい会社で、僕が子供のころは「ホリプロ」の名前なんて誰も知らなかったですよ。原材料のポリプロピレンから名前を取った「ポリプロ」というストローを作る会社があったんですが、当時はそこと間違われていたくらい(笑)。

今のように情報が氾濫していなくて、「誰がどこのプロダクションに所属しているか」なんて誰も興味を持たなかった時代でしたから。ただ唯一、渡辺プロダクションだけは知られていました。万博のプロデュースもやっていましたからね。それと比べたらものすごい差ですよ。

田中:

堀さんご自身は子供のころからホリプロがどういう会社なのかはわかっていたんですか?

堀:

何をやっている会社なのか、全然わからなかったですよ。

僕が生まれた翌週くらいにビートルズが来日して、それからグループサウンズのブームが始まるんですが、当時のグループサウンズの半分くらいがホリプロ所属だったんですね。たとえば鈴木ヒロミツとか井上陽水とか。

僕が物心付いたのはちょうど和田アキ子がホリプロに入ってきた頃で、「何で自分の家に鈴木ヒロミツや和田アキ子が来るんだろう?」といつも思っていました。

だから小学校に入る前くらいには「何をやっているかは分からないけど、タレントに関わっている会社なんだ」というのはわかってきて、小学2年生くらいの時には何をやっているかもなんとなく分かりました。ただ周囲の人に説明はできなかったですけどね。

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
田中:

そういう環境で育つと「自分も将来、同じ仕事をするのかな」という気持ちは持たなかったんですか?

堀:

あったんでしょうね。小学校の文集を読み返してみたら「第二ホリプロを作って社長になる」って書いてあったので(笑)。小学生だから会社の仕組みが分かっていないので、会社は社長一代ごとに無くなっちゃうと思っていたんですね。

田中:

中学・高校時代はまだ具体的に職に就くということは意識しないと思うんですけど、堀さんの場合、職業に対してはっきりとした意識を持つようになったのはいつ頃だったんですか?

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
堀:

大学2〜3年生のころです。僕はほかのプロダクションに行きたかったんですけど、やはり父親から「それは駄目だ」と。でもこの業界の内情は良く知っていたので「一人前のディレクターやプロデューサーになるのに何年もかかるテレビ局は嫌だ」と思ってました。アシスタントディレクターを3年も4年もやるほど待てないですから。

それでラジオだったら1年くらいでディレクターになれるんじゃないかと就職先をニッポン放送に決めました。当時はニッポン放送の絶頂期でしたからね。東京ドームを借り切ってイベントをしていたくらいだから、「これは面白そうだ」と。

「無知の知」を味わったニッポン放送時代

田中:

ニッポン放送に入ってはじめて社会人として仕事をしてみて、「簡単だな」とか「やっぱり難しいな」とか思ったことはあったんですか?

堀:

ほかの同期よりも何でも知っているつもりだったんですけど、最初の企画会議に出席した時に出てくる名前が全然わからなかったんです。技術用語も人名も何のことだかわからなくて、外国にいるように感じました。それで「こりゃ、えらいとこ来ちゃったぞ」と思いました(笑)。

たとえば芝居の話になっても、小劇団は見に行ってなかったから話について行けないわけです。仮にその芝居を見ていなくても、その場では知っている振りはしなくちゃいけない(笑)。でもそうなったらもう見ざるを得ないし、いろいろ研究しましたよ。「番組で新しいパーソナリティを探しているけど、今波に乗っているお笑いタレントは誰だ?」と聞かれたらお笑いタレントも知ってなきゃいけない。

その半面、ほかの人よりもちょっと知っていると賞賛されるんです。「すごいね、詳しいね」と言われるために水面下ですごく勉強しましたね(笑)。何を聞かれても答えられるというのがハッピーな仕事でしたから。

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
田中:

放送局というとすごく厳しくて休みがないというイメージがあるんですけど。

堀:

夏休みなんか取ったら怒られましたよ。「お前もう、ずっと休んでいて良いよ」なんて言われちゃいますから。実際、休んでしまうと会社に戻った時に、もう休めないくらい仕事が溜まっているんです。とにかく猛烈でしたね。

田中:

それはすごいですね。番組を作るという仕事をしていたんですか?

堀:

制作ではなくて編成だったんです。だから番組の企画などですね。希望していたディレクターはやっていないです。

田中:

とはいえ堀さんの話す顔を見ていると、楽しく充実したニッポン放送時代を過ごしたように思えますが。

堀:

そうですね。あの当時は仕事が楽しかったですね。

田中:

その後、ニッポン放送からホリプロへの転職されるわけですが、どういう経緯があったんですか?

堀:

ニッポン放送に在籍して3年を過ぎたころ、半年間で3〜4回くらい創業者である父親から「ホリプロに入らないか」という誘いを受けていたんです。それで最後の最後に「ニッポン放送は面白いけど、ホリプロは堅すぎて面白くない。暗くて、かしこまっててノリが悪い」と言ってしまったんです。

株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏 インタビュー
 

ニッポン放送の人間としてホリプロの人と一緒に仕事をする機会はありましたから、外から見ることができましたからね。そうしたら「だったらそのニッポン放送のノリをお前がホリプロに持ってきたら良いじゃないか」と言われて、「ああ、そうか」と。

ニッポン放送は2年ごとに人事異動があるんですが、企画書もたくさん出していたので僕は当然ディレクターになれると思っていたのに、4年過ぎても異動がなくて「まだ編成をやるのか」と思ったらうんざりしてしまって…。

それにラジオでは映像の仕事はできないので「テレビの制作をやらせてもらえるならホリプロに行くよ」と、転職することになったんです。

田中:

堀さんのお兄さんはすでに役員としてホリプロにいたのに、堀さん自身は役員になることを拒否されたそうですね。なぜなんでしょう?

堀:

兄のことを見ていてわかったんですが、社長の息子だというだけで役員になってしまったら周囲の人と口がききにくいんですよ。それに製作現場に入りたいのに、役員で入社しちゃったら一番やりたかった現場の仕事がやれないじゃないですか。

田中:

それはたしかにそうですね(笑)

堀:

そうやって現場要員として入社できたのはラッキーでしたね。おかげでほかの社員の人たちとも普通に会話できて、普通に現場をやれましたよ。だから毎晩みんなと飲んでました(笑)。

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