GREEキャリア > 株式会社ホリプロ 代表取締役社長 堀 義貴氏(前編)
念願の製作現場から音楽部門への転身
- 田中:
ホリプロに来られてからは具体的にどんな仕事をされたんですか?
- 堀:
アシスタントプロデューサーとしてスタートして、レギュラー番組がなかったので単発番組や、フジテレビと一緒に作った映画の製作などを4年ほどやっていました。
それでその映画があたっちゃったんですよ、というか、狙ってあてたんですけど(笑)。その映画のアシスタントプロデューサー三人は、後に一人は東宝の映画製作のトップに、もう一人がヒット映画を手がけるフジテレビのプロデューサーに、そして僕がホリプロの社長にというように、みんなそれぞれ出世しましたよ。
- 田中:
そうやって同じ時代に一緒に仕事した仲間にはお互いに触発されますよね。
- 堀:
その映画のプロデューサーが、トレンディードラマの元祖的存在のフジテレビの大多亮さんで、僕がニッポン放送時代から会って一緒に仕事がしたいと思った人だったんです。たまたまホリプロに来て「今度映画を作るから担当しろ」と言われてついたプロデューサーが大多さんだったので、本当にうれしかったですよ。
- 田中:
ではホリプロに転職されてからは念願の制作の仕事ができたんですね。次の転機というのはいつごろくるんですか?
- 堀:
しばらくバラエティーの番組制作の現場をやって、その部署でトントン拍子に役員になったんですけど、今から10年くらい前に当時の社長(現会長)に六本木の寿司屋に呼ばれて「音楽と宣伝の担当をやってくれ」と。ホリプロは未だにそうなんですけど、音楽部門が弱いんです。
- 田中:
今まで映像の制作をしていて、「音楽をやれ」と言われていきなりできるものなんですか?
- 堀:
できないですよ(笑)。ニッポン放送を辞めて何が一番うれしかったかと言ったら、嫌いな音楽を聞かなくて済むということだったんです。聴取率を取るために毎回同じ曲を流すので飽きちゃうんですよね。だから番組製作をやっていた4年間は好きな曲しか聞いてなくて…。
異動したときはビジュアル系バンドのブームだったんです。でも当時売れてたバンド名も知らなければ、「何で化粧するんだ?」というのもわからないのに、ブーム末期のころにビジュアル系バンドがホリプロに所属することになったんですよ。
音楽制作部の部長として最初の仕事は、その時所属していたアーティストを全部切ることからスタートしました。「はじめまして、さようなら」と。「部長が変わって方針を変えました」ということで、新たに入ってくるビジュアル系バンドだけになったんです。
- 田中:
でもビジュアル系バンドのどこが良いかわからないままだったんですよね? 男が化粧をしたり、アクセサリーを着けたりすることのどこが良いのか、と。
- 堀:
ええ。だから「うちの部は全員、髪の毛を染めよう。まずそこからスタートしよう」と(笑)。でも誰もやらないから「何だよ。よし、じゃあ俺がやる」と30才になって人生ではじめて茶髪に染めたんです。アクセサリーも「本当に格好良いものなのか?」を知りたいから会社に着けて行きましたよ。
- 田中:
堀さんの「実際に試してみる」という感覚はすばらしいですよね。やってみないとわからないことって多いですからね。自分が好きになるかどうかはわからなくても、それを好きな人の気持ちがわかるかどうかが重要なんですね。
- 堀:
誰でも本当にやりたいと思うことは趣味なんですよ。でも趣味と仕事は違います。僕らは技術や性能を売っているわけではなくて、感情を売っているわけじゃないですか。「泣ける作品なんかやりたくない」と思ってもやらなきゃいけない。だから仕事として泣く側の人の気持ちを理解しなくてはいけないんです。
40才になっても知らないことが悔しい
- 田中:
これは僕の勝手なイメージなんですが、エンターテイメントを仕事にしている会社の人は、上司が「髪の毛を全員染めよう」と言ったら、たとえ自分の趣味じゃなくても少なくとも何人かは「染めてきますよ」という熱いノリがありそうなんですけど。
- 堀:
いや、ホリプロはずいぶん前に株式公開もした上場企業ですし、あの頃は「真面目な会社になろう」というテーマでやっていたんですよね。それが行き過ぎてしまって、クリエイターでいるよりも、会社然とすることを大事にしていた時期だったんです。そこへ僕が来たわけです。
創業者のDNAを一番引き継いでいそうな人間がスーツは着てこない、朝は来ない、挙げ句は「ロケバスを自宅まで回してくれ」と言い出す始末ですから(笑)。でも今までニッポン放送ではそうやっていたわけだから。まあ、たしかに社内で批判していた人もいたと思いますよ、当然(笑)。
- 田中:
でもそれは会社のノリを変えていこうと意図してやったんですか?
- 堀:
それはあります。「倹約がすべて良し」とされていて、「面白いことよりも、ちゃんとしたことを」という雰囲気だったんです。でもそれだとエンターテイメントは作れない。
- 田中:
堀さんの著書『これだけ差がつく!感じる人感じない人』(PHP研究所)を読んだのですが、そこでも「失敗しても新しいことをやれ」ということがかなりのページ数に渡って書かれていたので、「そう強く思われるような体験をしてきたのかな」と思いました。
- 堀:
自由にやらせてくれる年上の上司に恵まれていたんですよね、ニッポン放送でもホリプロでも。
普通は年を取ると人間って保守的になるじゃないですか。でも上司が保守だと若い社員はもっと保守的になりますからね。若い社員がおじさんの上司に「○○っていうアイドル知ってますか?」なんて話かけないでしょう? でも逆に上司から攻めていけば、向こうからも答えが返ってくるじゃないですか。だからそういうノリは残しておかないと。
- 田中:
それは重要なことですね。
- 堀:
実は僕は自分が40才になると思っていなかったんですよ。33才で死ぬと思っていたんです、ノストラダムスの大予言で(笑)。ところがそうはならなかったんで「参ったな、そうそう簡単に人類は滅亡しないぞ」と拍子抜けしてしまいました。
どうせ生きていくのなら面白いことをやって、世の中の人が喜んでくれたらと思ったんですよね。でも「自分が面白いことを知らないのに、人に説明できる企画にならないでしょ?」という思いが根強くあるんです。
それに「言って動かなかったら自分でやるしかないだろう」というのもあります。僕がGREEを始めたのもそうなんですよ。会社の朝礼でも何回も「ブログとソーシャル・ネットワーキングサービスは絶対に研究しておけ」と言っても社員が誰もやらないから、これは自分で触ってみた方が早いと思っていろいろ使ってみています。
- 田中:
そういうところでその人の人間性って出ますよね。「絶対やらなきゃいけない」と自分でやる人と、「誰もやらないから仕方ないや」と何もしない人に分かれると思うんです。堀さんは前者にあたるわけですが、その原動力は何なんですか?
- 堀:
「知らない」ということが悔しいんですよね。モーニング娘とかKAT-TUNとか、アイドルの名前なんて普通40才になって知っている必要は無いんですよ。でも僕は自分より先に周囲の人が知っているというのが頭に来るんです。誰よりも先に「あのタレントが来るよ」と言っている自分が良いんです(笑)。
- 田中:
そういったもの作りに対する意識の高さや興味の持ち方は家庭環境から作られたものなんですか?
- 堀:
見たいという意志がなくても面白いものを見せられたから、面白いものを知っているんですよね。
それに「どうやったら作れるのかな」というのがわかると「いくらかかるのか」もわかるじゃないですか。だから「もう無理だ」と打ちひしがれることもありますが、お金をかければ必ず良いものになるというわけじゃない。そういうことがわかったんですから、良い環境だったと思いますよ。
編集:島田敏宏(GREEキャリア編集部)
2006/08/09 14:00
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